難民だった有名人#2アインシュタイン
- K-Diffusionors
- 2018年12月19日
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相対性理論などで知られるアインシュタインも難民だったと言えます。
ドイツで生まれ、幼い頃から様々な現象に対して、興味・関心、そして疑問を持っていたと言われています。当時のドイツはマルクス政権のもと軍国主義でしたが、アインシュタインはそれを嫌い、軍国主義を推し進め規律を強めていた学校を2度やめているそうです。
1910年代、一般相対性理論を発表し、1920年ごろから一躍有名になりました。
しかし、彼の功績はドイツでは認められませんでした。それはユダヤ人であったからです。その後、ドイツではナチスによるユダヤ人迫害の脅威が迫るっていたので1930年代祖国を離れる決心をしてアメリカに亡命しました。
ナチスが政権を握った1933年からナチスドイツが降伏した1945年にかけて、なんと34万人以上のユダヤ人がドイツおよびオーストリアから移住しました。しかし、そのうち10万人近くは戦時中にドイツによって征服された国に避難したので、ほとんどが移送されて殺害されることとなりました。
ここで注目に値すると思われるのは、詳しくは以下のリンクで説明されていますが、ユダヤ難民に対して欧米諸国の多くはとても冷淡な対応をとり、ユダヤ難民の海外逃亡は困難を極めたという事実です。
そして、
第二次世界大戦中、600万人ものユダヤ人がナチスによって殺害されたと言われています。
ここでは残念ながら、悲惨さを「数字」で見るというかたちにはなってしまいますが、改めてなんという恐ろしさでしょうか。
戦後アインシュタインは、「我々は戦争には勝利したが、平和まで勝ち取ったわけではない」として、差別の撲滅や核兵器の廃絶、世界政府の樹立といった活動に尽力しました。
しかし、彼が生きている間にそれらの願いが実現することはありませんでした。
そして、今世界も「平和」といえるのでしょうか。私たちは「日本」また、相対的にしか定義することしかできない「平和」という安全地帯で生きることができています。
しかし、ではそれ以外の地域ではどうなっているのでしょうか。「平和」という言葉には本当に受動的・消極的な意味でしか使い得ないのでしょうか。
文責:K-Diffusionors広報担当
キーワード:積極的平和主義
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